TOPに戻る
前のページ 次のページ

第四話「アゲハ姐さん」

プラトとムスイがストライクフリーダムへと旅立ってから5日が経った。

ナナセはその日、「暁国炎熱羊連合寄り合い」という集会に出席する為に白峰県を離れていた。
彼は若くして集会の役員をやっている。
まあ、炎熱羊は暁国の中ですら滅亡の一途を辿っている種なので、
会員の絶対数がもう大した人数ではないのだが。


そんなわけで、その木曜は昼間はアゲハが一人でミズエの面倒を見る事になっていた。


・・・その筈だったのだが、アゲハは「時間が勿体ない」と言いだし、
ミズエに、趣味でやっている自分の研究を手伝わせようとした。


「本当は一人でできるんだけどね」


そう言って、毒気の無い顔で彼女は笑っていた。


「時給は200円って所かな。授業料差し引いてね」


向学心の高いミズエはそのバイトを喜んで引き受けた。








アゲハが研究に使っている部屋は、アジトの地下三階にある。
彼女の主要な研究領域は農芸化学。
なので大きくて危険な実験道具は無く、
冷蔵庫や有機合成用の電子レンジ、クリーン・ベンチなどが備え付けられている。


アゲハはミズエに実験ノートとペンを持たせて椅子にチョコンと座らせ、
いつものアロハシャツの上に白衣を羽織った。
冷蔵庫からチューブの箱を取り出してくると、
ピペットで黙々と作業を始める。




「今日は見てるだけで良いよ。給料ちゃんと払うからね」

「次の機会からは、手伝ってよ」

「ジュンちゃんはほとんど手伝ってくれないから。役割上」

「ウチの趣味でやってるからね。化粧品会社から研究補助貰ってるけど、本当に全部研究費に使ってる上にちょくちょく赤字になる」

「儲からないのに、皆が『やれやれ』って、やるの奨励してくれなくて当然って感じ?」

「でも、あなた、興味あったら、ウチの研究仲間になってよね」




アゲハはミズエに視線を向けずに、それだけ喋った。
ミズエは実験ノートを開いて、メモする準備をしている。


「研究補助金を企業から貰ってるんですか?・・・凄い。赤羊は一般的に肉体労働と戦闘しかできないと言われているのに・・・」


ミズエは言った。
アゲハはそれを聞いて少し目尻に皺を寄せる。



「ウチ、仕事の定義って知らないけどさ、赤字でも『仕事』って言えるんだっけ?」

「・・・ああ、言えるね。言えるわ。そう。少しは創造的な仕事。フリーだけどね」

「・・・何考えてやり始めたんだっけなー・・・」

「・・・別に『赤羊だからって肉体労働しかできないのは変だー!』なんて・・・鼻息荒げてやり始めたわけじゃないよ」

「自分の興味を追求していって・・・研究しないといけなくなって・・・研究資金が必要になって・・・」

「企業に資金を出してもらう・・・って方法を思いついただけ」



つらつら話すアゲハを見て、ミズエは目を輝かせる。



「自然界の生物の中に在る・・・有用な物質を探して抽出する簡単なお仕事です」

「ナナセたんがフィールド・ワークが大好きな子だからさ・・・。何かのついでにって頼んで、暁国中から色んな生物を採取してきてもらうの」

「酵素やホルモンも取り扱うんだ。農芸だから」




「夢はね・・・ナナセたんが採取してきた色んなキワモノ生物の『存在理由』・・・」

「その生物が、この星で生きている価値。『人にとって、その生物にはどんな価値があるのか』・・・って事」

「そういうモノを探る為だね。或いは、作ってあげる事」

「その生き物が、この星で生きている意味を、作ってあげる事」

「どんな生き物にも、其処に居る『価値』・・・『役目』・・・『目的』・・・があったら良いなぁ・・・っていう幻想。夢想」

「本当は、そんなモノが確実にある道理なんて無いのかもしれないけど・・・」

「それでも、『人にとっての他の生き物の価値』・・・地道に研究していったら、ポツポツ見つけていけるモノなんだよ」

「ウチの『研究する動機』は・・・そういう『乙女チックな夢』に支えられてるんだ」




そう言ったアゲハは、まだピペットで作業をしている。
ミズエは、そんなアゲハの言葉に笑いもせず、熱心にメモをとっていた。



「・・・その研究動機は『乙女チック』なんですか?」



ミズエは質問した。



「だって男なんて皆、『実利』と『肩書』に拘っちゃうもんでしょ?」



アゲハは多少突き放した声の調子でそう言った。



「まず、人間以外の生き物に感情移入してみようか・・・って考えが非男性的」

「存在理由・・・なんてアヤフヤなモノの為に自分の体力を使うっていう考えが夢見がち」

「儲からないのに無理し続けるのも・・・」

「『自分の思い込み』を『現実』より大事にしちゃうのも・・・」

「みんな、みーんな、女性的」



それを聞いて「うーむ」と悩むミズエ。




「それって、男性と女性のどっちをディスってるんですか?」

「別に。どっちでもないよ。ただウチは女性側に立っているし、多分に偏った考えである事を認めよう」




ミズエの疑問に対して、アゲハはすぐに言葉を返した。










アゲハはピペットの作業を中断して、何処からかバケツを持ってきた。
中に藻のような濃い緑の生物が見える。とても汚らしい。
それを棒で撹拌し始めるアゲハ。
藻のような生き物は液状化して水の中に拡散していった。

ミズエは頭の中で(こういうのが乙女の仕事なんだ・・・)と思っていた。




「あー、でもね。夢見がちで、自分の思い込みが現実より大事ーっ・・・って男性もいっぱい居る」

「いや、ある意味、全員そうなのかな・・・」

「『俺はまだ本気出してないだけー!』『俺はお前が思ってるよりずっと強いぞー!』・・・なーんて
 勘違い・・・思い込みが多いかな」

「女子は賢いから、『夢は所詮夢だ』って、頭の何処かでちゃんと冷静に評価してる節があるね」

「・・・ほらほら。『肩書』だって、『夢』とか『思い込み』の一種だと思わない?実在しないもん。そんなモノ・・・」

「男子は『狩り』をしたり『自分の縄張りを守る』っていう役目があるからね。普通は」

「だから肩書やポジションや実力の上下・・・ってモノにとーっても敏感だ・・・」

「女子の根源的な役目は『巣作り』ぃー・・・。自分達にとって快適な住空間を作る事が一番大事なんだね・・・」

「上下じゃなくて、自分が好きか嫌いかで判断する。自分が快適だったら、それで良いんだよね」

「どっちが現実的かっていうと・・・アハ★・・・言わないでおこうかな・・・」





ミズエはアゲハの言っている事が多少混乱している事に気づいたが、面白いので黙っている事にした。






「肩書の上下を気にする男子達諸君は・・・よっぽどピュアじゃないと・・・趣味で研究やったろー・・・
 なんて発想にならないだろうね」

「肩書が欲しいし、『自分の中の小さな満足』なんかじゃ、ご飯食べられないからね」

「『ウチは研究が好き。だから趣味で研究をしよう。ああ、楽しいな。ウチって立派な研究者だね』っていう、独りよがりができないんだ」

「外部からの評価が欲しい・・・『俺は研究やってるから研究者だ』・・・って、自分で自分を評価するだけじゃ
 まだまだ不安定なんだ。ココロが・・・」

「ウチはウチが『研究やってるから研究者だ』って・・・ちゃんと自信を持って言えるけどな」

「自分で自分の事を自信を持って判断できる」

「なのに、大多数の男にはソレができない・・・!自分に対する他人の判断が無いと、自分に自信を持てない・・・!」

「だから、イイ女が添うてあげないと・・・男は安心して浮世を歩めないのかもね・・・って感じ?」







ミズエはソレを聞いて、「ほほーう」とココロの中で感心した。
18歳のアゲハの独断と偏見が多分に盛り込まれている事は重々承知だったが、
アジトの外の平均的な男子達・・・というモノに興味が湧いた。






「自分の事くらい、自分で判断してあげたいですね」





ミズエはそう言った。
アゲハは満面の笑みになって、




「だよねー」





と言って笑った。
次は、たくさんのフラスコが組み合わさったような器具で、できた液体をいじっている。


ミズエはだんだん、アゲハが自分で自分の事を「ニュータイプ」と呼んでいる意味を掴みかけてきた。

アゲハという女性は、特別、自由な赤羊であるように見えた。













アゲハが鼻歌を歌いながら後片付けをし始めた時、
ミズエの実験ノートは20ページ文字で埋まっていた。



「真面目ねぇ・・・」



アゲハはソレをチラッと見て、
若干蔑んだような声色を込めてそう言った。

ミズエは(赤羊なのに研究してるような真面目な人に言われても・・・)と思いかけたが、
思い留まる。
アゲハにはソレでも、自分が真面目だという意識は無いのだろう。


自由だから。
常識とか、思い込みとか、そういうモノから。


ほとんど片付け終わって、手をパンパン叩いて、アゲハは言う。





「別に・・・創造的な仕事もやってみな・・・とは言わないよ。職業なんてどうでも良いからね」

「でも、ステレオ・タイプな女子ってちょっとツマンナイよね」

「自由に発想できる頭脳があるなら・・・ソレを大事にした方が良いよ」

「自由に発想できれば・・・できさえすれば・・・そうね。赤羊が人間に対して負い目を感じる必要も無くなるんじゃないかな」

「ソレくらい大事だよ」





アゲハは振り向いて、一瞬、いやらしく笑う。






「肉体労働以外の仕事で、生きてる実感を掴むってのも・・・ミズエちゃんの『自立』への第一歩かもね」

「ウチはあなたが可及的速やかにウチらの保護の手から自由になる事を待ってるよ」

「早くいっぱしの淑女になって・・・ウチらと対等になって・・・出て行ってほしいな」

「巣立ってほしいって感じ?」

「ウチって、そういうスタンス」








それだけ言って、またミズエに背を向ける。



アゲハの白衣の背中を見ながら、ミズエは

(この背中からは学ぶ所が多そうだ・・・)と思っていた。














夜になるとナナセがもうアジトに帰ってきた。
ミズエの事が気になって、付き合いも何もかもすっぽかしてきたらしい。
アゲハはその時にはもういない。

ミズエはアゲハに借りた安野モヨコの著作群を熟読していた。
それを見たナナセは疲れた表情をする。


「色んなお姉ちゃんやお兄ちゃんが居て、ミズエちゃんも頭、混乱しちゃうだろ?」


ナナセは気遣わしげにそう言って、本を読んでいるミズエの横に座った。
ミズエは本から目を離す。



「ウザいって思われるかと思ってアゲハさんには言わなかったけど、
 赤羊なのに会社から仕事とってこれるなんて、アゲハさんは凄い人なんですね」

「赤羊の中でも特別な人なんだ」



そう言うミズエを見て、ナナセはフッと笑う。



「ちょっとだけそうかもね」

「ミズエちゃんと同じでね・・・才能ってヤツを持ってる人だと思うよ」

「でもアゲハさんだって最初から赤羊の性質が隠れてたわけじゃないんだよ」

「長く生きてるとさ・・・だんだん自分の性質・・・特に赤羊的な性質・・・
 社会と自分を擦り合わせる時に不具合が生じる部分が見えてくる」

「自分の得手不得手も・・・赤羊の得手不得手も・・・見えてくるんだ」

「で、『敵』の正体が分かったら・・・」

「ソイツに『黄粉』か何かまぶして・・・脇に置いておく事ができるようになったりするんだ」

「赤羊の特性は頑張っても消せないけどね・・・『目立たないようにする事』は・・・できる人にはできるんだ」

「つまり、アゲハさんがアゲハさんなのは、地道な努力と経験の積み重ねがあるからなんだよね」

「経験を蓄積する事で、人の世で上手くやっていく『型』を覚えたんだろう」

「それなりに神経すり減らして生きてると思うよ」




ナナセは言った。
ミズエは(なるほどなぁ)と思う。


赤羊でも、上手くいけば、ちょっとだけ人間並みになれるんだ・・・という事が分かった。
それでも、自由な発想を持つアゲハだからこそ・・・なのだろうと思うが・・・。




「・・・でもなぁ・・・もしも・・・」

「ミズエちゃんがアゲハさんみたいなイケイケな娘になっちゃったら・・・」

「兄ちゃん・・・大分落ち込むなぁ・・・」





ナナセは空を仰いで軽い調子で言った。

ミズエはクスッと笑って、何も答えないで居た。









色んな偉大な背中が見えるけれど、全部、その背中の真似をしてしまうのは違う。

所詮、ミズエはミズエ用の部品を使ってしか飛べないし、

ナナセはナナセの・・・プラトはプラトの・・・アゲハはアゲハの部品を使って飛ぶ。

自分に必要そうな思想・・・考え方・・・生き方・・・だけ真似すれば良い。

人からもたらされる情報は取捨選択しても良いんだ。

そうしないと・・・「自分で考えてる」って事にならない。

お互いが、自分で考えて、初めて人と人は対等になる。

赤羊と人間だって、それぞれが自分達で考えれば、ある意味で「対等」になれるんだ。

「自分で考える」事の重要さは・・・アゲハも強調していた所だ。






アゲハは、早くミズエが自分達と対等になり、巣立っていく事を望んでいるようだ。

いっちょ前の淑女と淑女になる事を望まれているのだ。

ある意味、尊重されている・・・という事だろう。

ミズエはその事を思って、少し嬉しくなった。


















同時に、プラトやムスイ達といずれは別れる運命に、思いを馳せるのであった。














前のページ 次のページ
TOPに戻る